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 古ぼけたビルの一階前面を覆う灰色のシャッターには本郷懐古堂と白い文字で描かれている。
 そのすぐ横の扉を開け、智明(ともあき)は中へ入った。十五坪ほどの狭い店内は二つに区切られている。
 入って右側は多くの古本屋と同様に生活のための売れ筋本(つまりはエロ系)が並べられている。
 左側はほとんど需要のない専門書や店主の趣味の分野の本だ。
 抱えてきた本をそっとレジ横の机に置くと、まず正面のシャッターを開けることにする。
 やはり太陽光の下でゆっくり調べたかった。
 もちろん古い普請でシャッターは手動だ。それほど背が高くないので、最後のところは箒で押し上げる。
「さってと……」
 一番上まで開け、内側のガラス戸を閉めようと戸袋のところへ行くと、歩道とのちょうど境に黒猫が座っていた。


 両前脚を伸ばしてきちんと揃え、長い尾を体に巻きつけている。
 翡翠のような緑色の瞳に大きな三角の耳だ。
 この辺りは猫好きばあさんやおばさんが多く、飼い猫も野良猫も渾然一体となって群棲していることで有名だ。懐古堂の店先にも日だまりを求めて訪れる猫はあとを絶たない。
 だがその黒猫を見るのは初めてだった。
「どこの子だい、新顔じゃないか」
 ちっちっと舌を鳴らしたが、黒猫はつんとすました顔で足元を過ぎる。そのまま奧へと入り、レジの傍の踏み台を兼ねた丸椅子に飛び乗った。
「おいおい」
 マーキングをしないでくれよと言いかけたが、飛び乗った際に大きく振りあげた尾っぽのお陰で雌と確認ができ、智明は文句を呑み込んだ。
「まあいいか、でも本に爪を立てるなよ?」
 猫に意見をしながら智明は机へと戻った。
「さて、と……」
 一番上の赤い布張りの本を取り上げた。赤い布はだいぶ薄汚れ、所々毛羽立っている。
 表紙には『DIE GESCICHTE DER MEDIZIN(医学の歴史)』というタイトルがゴシック文字で箔押しされている。日本でいうゴシック体とは違い、カリグラフィーという飾り文字に属する重厚な書体だ。
 中表紙を確かめると、印刷はドイツ、フランクフルトで一九三六年の出版だ。裏表紙を開けるとそこにはEXS LIBRIS(蔵書票)が貼ってあった。名刺ほどの大きさの紙で、持ち主の名が明記されている。西洋では古代から医師のシンボルとされている蛇の絡んだ杖が飾りに印刷されていた。
 蔵書票の名前は「羽山正憲(まさのり)」。正直(まさなお)と菜摘(なつみ)の祖父の名だ。
「これはお祖父さんが買った当時は新刊だったんだなー」
 紙は分厚くて光沢のあるアート紙というもので、
「図版や写真の多い医学書はこの紙が使われることが多いんだよね」
 独り言ちながらゆっくりとページを捲る。
 そのうち丸椅子の上に載っていた黒猫がにゃあと鳴いた。
 前脚を伸ばし、まるでさっさと次の本を見ろとでも言うように机の上に積まれた本を引っ掻く。
「おいおい、駄目だって」
 猫を押し戻し、置いてあった黒革の本を取り上げた瞬間、静電気のようなものがバチッと指に走った。床に取り落としそうになり、なんとか胸に抱える。
「うわっ、猫から飛んだのかな」
 すると胸の中の本がずしっと重くなった。
「な、なんだよ、この本は……」
 そういえば、あの書庫でもこの黒革の本になぜか手が伸びたのだった。
 智明は抱え直し、じっくりと観察する。
 擦り切れた黒革の表紙にはなにも印刷されていない。
 開くと黄ばんだ中表紙にゴシック文字で「DIE NEKROMANTIE UND SUBSTANTIA NIGURA」とあった。
「『降霊術そして……』あとの単語はラテン語だ」
 傍にあったラテン語辞典で引いてみる。
「『黒い物質』かな」
 なんだか怪しげな本だが、曾祖父はオカルト好き、と言っていたっけ。
「『医学の歴史』なんかより、こういった本のほうが売れるかもしれないなー。ネットにでも出してみるかな」
 タイトルの下に記された印刷所は「プラハ(Prag)」とある。
 著者名は「カルペンティエール」。
「やっぱり十九世紀の復刻版だろうな」
 中表紙を捲り、本文を一枚一枚捲り始めた。
 中表紙の次には木版画のイラストがついている。
 これは珍しい。
「十八世紀ぐらいだったら銅板画なんだけどな。復刻版じゃなくてもっと前のものだったらすごいぞ」
 三角定規や分銅に天秤、フラスコといったいかにも錬金術師の使いそうな道具の絵だ。著者肖像ではと思われる髭の生えた老人の絵もあった。
「十八世紀ぐらいの本でも十分値打ちはあるんだけど……」
 中表紙に続き本文を開いてみる。CHPTER(章)の表題に当たる文字はさらに凝った絵文字だ。それも髑髏やら蜥蜴やらが装飾(オーナメント)として使われている。
「なんか、趣味悪そうな本。いかにもオカルト系だな」
 気のない様子で数ページ捲っていた指がふと違和感を覚え、止まった。
「これは……手触りが普通の酸性紙と違うぞ?」
 さっき羽山邸で見た飴色の本の紙とはまるで厚さも違う。黄ばみ方もかなり濃い。
 ひょっとして古い本を装丁し直したものかもしれないと智明は思い当たった。
「だとすると……」
「ふるにゃあああんっ」
 突然猫の鳴き声が脇から上がり、智明はぎょっとして振り返った。
 黒猫が毛を逆立て、じっとこちらを見ている。緑色の虹彩に大きく開いた黒い瞳孔がこちらに向けられている。
「なんだよ、もう……驚かすなよ」
 また本の上に顔を近づけ、ページをゆっくり捲り続ける。裏表紙まで辿り着くと、先ほどの本と同じく蔵書票が貼ってある。やはり黄ばんだ紙で天秤の絵がついている。そして中央に大きな皺が斜めに寄っていた。
「剥がれかけているのかな?」
 指で触った途端、再びびりっと電気が流れた。
「うわっ」
 めげずに指で確かめていると、中央部分が少し盛り上がっていることに気づく。
「なんだろう……この下に何か挟まってるようだ」
「にゃあっ、にゃあっ」
 憑かれたように猫が鳴き始めた。
「どうしたんだい? お腹でも空いたのか? でもちょっと待っててよ、これをやってから……」
 鳴き続ける猫を放置し、智明はさらに指で探る。
 すると自然に端から蔵書票が剥がれてきた。
 と、ゆらゆらと辺りが揺れる。壁面を覆っている本棚ががたがたと音を立てる。数冊の本が棚から落ちた。
「地震か?」
 思わず指を止めると、猫が再び鳴き始めた。猫は後脚で立ち上がり、前肢をコンダクターのように振った。
 それだけでも信じがたいのに、前肢の動きにつれて床に落ちた本がぱたぱたと羽ばたく。
「信じられない……ポルターガイスト現象か?」
 智明の見ている前で落ちていた本は巣に帰る鳥のように本棚へと戻っていく。
 今に始まったことではなく先ほどからの変な現象が続いているのだと智明は思った。
 もしくは熱が出て白昼夢に陥っているのかもしれない。
 でなければすべては夢の中で起こったことで、今、自分は本当は寝床の中でうなされているのかも。
(それが一番ありえるな)
 どうせ夢の中のことならば目の前で起こっていることは現実ではない。一切無視することに決め、蔵書票を完全に剥がした。
 下に挟まれていたのは、長さも太さも小指ほどの黒く細い紐状の物体だった。からからに乾き、植物のようでもあり、革紐のようでもある。もしくは乾燥したコンブの切れ端か……。
 智明は指で挟み、目の前に持ち上げてためつすがめつした。断面にはなにやら白いものが見える。
 もっとよく見ようとレジの脇に常備してある大きな拡大鏡を掴んだ瞬間。
 雷の落ちるような大きな音がした。
 その時、昔読んだ本の一節が頭を過ぎった。
 それにはこうあった。
「歌劇(オペラ)でだってメフィストフェレスは稲妻を先触れに現れる。あとから考えると虫の報せ(にゅうす)でこの嵐は意外な黄色い悪魔をもたらした」
 それはともかく。
「Hey! あんた!」
 ハスキーボイスが店先から上がった。
 智明は顔をそちらへ向ける。
 金色に染めた不揃いの髪を肩まで垂らした高校生ふうの若い子が立っていた。
 背は智明より頭一つほども高く、切れ長の吊り上がった目に眉は細く弧を描いている。鼻は尖って高く、唇は分厚く大きい。顎はがっちりと角張っていて肌は赤銅色だ。髪から出た大きな耳には幾つもピアスをつけている。
 着崩したスタジャンから覗いた逞しい身体にはTシャツが張り付き、腰パンなのでヘソが丸出しだ。もちろん銀色のヘソピーも。
 穴の開いたジーンズのそこここから銀色のチェーンがぶら下がっている。首元にもチェーンが二重に巻かれていた。真っ黒なナイキのスポーツシューズを履き、絵に描いたような今どきの渋カジで、智明はぽかんと口を開けた。
 こんな古本屋になんの用だろう。きょうび、自分以外の高校生(いや、自分は浪人生、と智明はちょっと暗くなる)は古本など読みはしない。
(エロ本でも探しに来たのかな?)
 思い当たって、くいと指で専用コーナーを指した。
「あっちにいろいろあるよ? 本だけじゃなくてビデオも……」
 そこまで言って、昨夜、青年が店の前に立っていたのを思い出す。
「君、昨日もうちの前にいた? 参考書かなんかだったら……」
 だが高校生(たぶん)はずかずかとレジへと近寄る。
「ちげーよ。俺はあんたに用があるんだ。そのあんたが持ってるの。返してくれ」
「え?」
「YORA(イオラ)!」
 腹の底に響くほどの大声が高校生の口から発せられた。
 しゅたっというような音とともに丸椅子に座っていた猫が飛んだ。
 はっと気がつくと掴んでいた黒いものがない。
 正面を向くと、立っている青年が黒いものを指に挟み、顔の前にかざしていた。青年の肩には黒猫が乗っている。つまり猫が自分の指からあの黒いものを奪い取ったのだと悟った。
「ああ……やったぜ、俺の愛しいシッポ……六百年ぶりのご対面だよ」
 青年は智明をじっと見ると、にやりと唇の両端を上げた。
「あんたなら大丈夫と思った。あの変な蔵から持ち出してくれるとな。俺に気づいてくれてたしな」
「ちょ……ちょっと待って、全然君の言うことがわからないよ」
 黒革の本をレジの机に置くと、智明は目の前の青年をもう一度ゆっくりと見た。
 どう見ても普通の高校生だが……黒いものを手にしてからはなにやら一周りも二周りも大きくなったような気がする。それだけではなく、黒かった虹彩も琥珀のように黄金色に輝きだし、急に指の爪が鈎状に尖ってきたようだ。
(きっと夢の続きだ)
 再び結論を下し、腹を括った。それならそうでこちらもそれなりの対応をすればいい。
 付き合ってやろうじゃないか。
「君は……誰なの?」
 素直に答えてくれるとは期待していないが、とりあえず尋ねてみる。
「ああ、俺? 岳斗(ガクト)。タニガワダケのガクに一升一斗のトだぜ、この名前、気に入ってるんでしばらく使うからな。あ、そんで、俺、一応悪魔だから」
 ここで普通の人だったら気絶するほど驚くべきなのだろうかと、智明は少しだけ考えた。
「夢だと思ってるんだろ?」
 青年はにやりと唇を捻じ曲げ、親指を立てる。
「言っとくがこれは現実さ? ほっぺたをつねってみるかい?」
 夢にしてはリアルすぎる。
(そうか……現実か)
 いったん受け入れると決めると高校生ふうの服装は逆にリアルだった。
 それでもしばし言う言葉を失って黙っている智明に岳斗と名乗った青年は腰を屈め、顔を近づける。
「あんたさあ、なにか言うことないの? 俺、悪魔なんだぜ? あんたのこと、食っちまうかもよ? それとも誇大妄想狂とか思ってるってか?」
「いやあ……君からそう言われても……なんて言ったらいいのかなー」
 智明はほっと溜め息をついて黒革の本をもう一度手にする。
「僕は別に科学至上主義じゃないし……どちらかというと不可知論者なんだよね。『この天と地の間には我々の人智で計り知れぬことがある』って言葉が好きだし」
「だよな、そんなあんただからこそ、あの蔵から本を持ち出してくれたんだな」
 岳斗はひどく嬉しそうな顔になると、丸椅子に手を掛け、尻の下に引き込んだ。
「ま、とにかく、チアキ、礼を言うよ、俺のシッポを取り戻してくれてさ。悪いようにはしない、なんでも願いを叶えてやるぜ」
「というか……僕の名前は『ともあき』だけど」
 自称『岳斗』は気にしないといったふうに肩を竦める。
「チアキがいいな、俺。あんた、女の子みたいだし、呼びやすいしさ、気に入った。俺ねえ、名前にはちょっとこだわりがあんの。『ガクト』もよくね?」
 尻上がりのアクセントは完璧に今どきの高校生言葉だ。
 やはり「悪魔」には見えない。
「そう言われても……」
 いつのまにか黒猫が机の上に戻ってきていた。黒革の本にすりすりと頬を擦りつけている。
「あの……ちょっとだけ訊いていいかい?」
「ああ、いいぜ?」
「もし君が本当に悪魔だと仮定しての話なんだけど……なんでシッポがこの本に挟まってたの? というか、なんでシッポをなくしたんだい? で、なんで自分じゃ取り戻せなかったの? どうして僕に? それとさっきの鳥や犬、あれ、君だったのかい?」
 矢継ぎ早の質問に岳斗は「ちょっとじゃねーじゃねーの」と顔をしかめた。
「うーん、話は長くなるからな、なにせ六百年分の歴史が詰まってるんでね……ま、ぶっちゃけ、十四世紀のベネチアでさあ、俺は必死で使い走りの悪魔をしてた。カルペンティエールって錬金術師に仕えながらな」
「ああ、この本を書いた人だね?」
 岳斗は頷くと額に落ちた金髪に指を入れて梳き上げる。
「俺、すげーなげー間、ぺーぺーの悪魔、やっててさあ。やっとこさっとこワンランク昇級したとこでさ」
「つまりパシリだったんだね?」
 岳斗はむっとした顔になったが「ぶっちゃけな」と頷く。
「だからよ、さらなる昇進のチャンスだったわけさ」
 ここでこいつの魂をいただければ、また昇級のためのポイントがゲットできると張り切って岳斗はカルペンティエールに仕えたのだった。
「マイレージを貯めてたってこと?」
 まーな、と岳斗は肩を上下させる。
「ところが運が悪かったんだなー、時代ってやつだ」
「時代?」
「異端審問に遭っちまったのさ、カルペンの野郎がよ。牢屋に入れられて明日は火刑だという夜、俺は助けに行ったんだ」
 ところがそこに異端審問官がいた。ピエール・パオロ・プラトリーニというクソ真面目な男だった。
「そいつがガチガチの教条主義者でさ、サイアクよ、自分にまったく迷いがないタイプ。死んでも自分の間違いを認めない。いるだろーが、この国でもナガタチョーとかカスミガセキなんかにさぁ」
 座っている丸椅子をガタガタと揺らしながら岳斗は続ける。
 鼠に化けて壁の隙間から忍び込んだのだが、なぜかその異端審問官に感づかれてしまった。
「多分、奴は神や悪魔の存在をまったく信じてなかったんだろうな」
「ええっ、異端審問官なのに?」
「まー、本音と建て前って奴よ。じゃなきゃあ、霊力が全くなかったか」
 悪魔と認識してか、それとも単なるドブネズミと思ったのかは知らないが、異端審問官プラトリーニは腰のサーベルを抜いて岳斗へ投げつけた。
「それでシッポを切り落とされちまったのさ……ああ、くそっ、一生の不覚って奴だ。カルペン野郎の魂も手に入らなかったし」
 シッポを切り落とされた岳斗の魔力は半減した。
「そのシッポはどうなったの?」
 思わず智明は先を促す。
「プラトリーニの野郎は、そこにあったカルペンティエールの本を取り上げて牢屋から持ち出した。俺のシッポを挟んだまま、な」
 翌日の火刑の時、本人と一緒に燃やされるはずだったのだが、異端審問官の部下に一人、カルペンティエールに同情する者がいた。自分の娘が難産の末に命を落としかけたのをカルペンティエールに助けられていたのだった。
「あいつは俺との契約で、医者としての腕も持っていたからな」
「契約?」
 岳斗はまた唇を歪めて笑った。
「あのさ、悪魔との契約って、決まってるだろう? 願いを聞き届けるのと引き換えに魂をもらうのさ」
 とにかく本は燃やされる寸前で持ち出され、弟子の手によって遠くプラハに運ばれた。そこなら当時は異端に対して寛容だったからだ。
「ああ、そうだね、確か、フス教徒が多かったしね」
 智明が相槌を打つと、岳斗は「へぇ、知ってんじゃん」とまた笑った。
「うん、僕、世界史だけはセンター試験でいい点、取ったんだ」
 力なく答える智明にお構いなく岳斗は喋り続ける。
「まあ、そんでいろいろあって、俺のシッポは本の中に入ったままだった」
 魔力の落ちた岳斗はなんとか取り返そうとしたが……。
「あの異端審問官の強烈なオーラが本に取り込まれていて、近づけなかったんだよ」
「てことは……これは本物だってこと?」
 智明は黒革の本をまた開いてみた。
「そうか……そして君のシッポはこれにそのまま……」
 そしてそれを羽山の曾祖父が知らないままお買い上げになったということなのだ。
 岳斗はそうだというように肩を竦めた。
「とにかく本の跡を追って俺はこの国に来たのさ。こんな遠く離れた東洋でなら、俺の弱くなった魔力でも通用するかと思ってね」
 五百年ぶりにシッポを取り戻せると岳斗は張り切ってやってきた。
 ところがどっこい。
「あの家の連中は妙な力があって、さらにあの蔵みたいな建物には強力な地霊が憑いているんだ。俺はまったく近寄れなかった」
「だろうねえ……」
 刺青博物館には自分だって近寄れないのだから、と智明は同意した。
「もう、この国に来てからほぼ百年間、一世紀だぜ、苦労したよ」
 一世紀!
「それで、谷川岳とかよく知ってるのかあ!」
 妙なところで感心してしまう。
「でもどんなことしてきたんだい? 二十世紀って、激動の時代だったろう?」
 まあ、日本でなくてもそうだったけど、と心の中でつけたし、智明は尋ねてみた。
「まーな。魔力の衰えた俺はさー、ひっそりと悪いことしながら生きてきたのさ」
「悪いこと?」
 確かに悪魔なんだから、それが本業かもしれないが……。
 非難の目に岳斗は「たいしたこたしてねーっつーの」と肩を竦めてみせる。
「この国にも結構、わりー奴、いるんだな。俺の出番は意外とあったぜ? 特にあのバブルって頃はな、入れ食い状態。ずいぶんと地獄へ連れてったぞ」
「ま、まあ……それは仕方ないよな」
 バブルの時に欲を出して悪魔に騙され、地獄へ堕ちちゃうのは自業自得かも、と智明は目の前の青年を責める気にはなれない。
「それにしても……えっと岳斗くん、って呼んでいいの? あの、君って変わった格好じゃない?」
「はあ?」
 岳斗は立ち上がるとぐるっと回ってみせる。
「どこが変わってるんだよ? よくなくない?」
「だってさあ……あんまり悪魔らしくない……」
 岳斗はぷっと噴き出した。
「あんたさー、悪魔が今どき、マントを被り杖を持って現れると思ってんの? この格好が今は一番普通だぜ? 俺、渋谷あたりじゃイケてるほうなんだぜ? ハンサムだしさ」
 そう言えば、と智明はじっくりと服装を見た。今の日本ではこれが一番目立たない。
「とにかくチアキ、あんたが霊感の持ち主でよかったよ。でなければ俺、絶対あの本を蔵から持ち出すよう、あんたに働きかけられなかったもの」
「そうか……」
 朝から変なことが続いていたのは、この岳斗と自称する悪魔のせいだったのだと納得する。
「やっぱ、夢でもなければ熱でもなかったのか」
 岳斗は両手であの気持ち悪い干物のような黒く細長いものを包み込み、先端に嬉しそうに口づけをしている。
「へっへっ、俺の可愛いシッポちゃん」
「よかったね、戻って。じゃあこれで用がすんだんだろう? さよなら」
 智明はにっこりするとレジの机に戻った。
「ええっ? 嘘だろう?」
 岳斗はシッポをポケットに入れると、丸椅子から立ち上がった。
「なに、言ってんの? 俺、あんたになんでも礼をしてやるって言っただろう? ひょっとして俺が悪魔だって信じていないんだな?」
 岳斗はくわっと口を開け、噛みしめた歯を見せる。上顎の尖った犬歯がきらりと光った。黄色い眼は刺すような視線を発していて、その迫力にちょっと智明はびびりながらも「いや、そういうことじゃなくてね」と答える。
「ほら、もともと君のものだったんだし……僕が苦労して取り返してあげたわけでもないし……たまたま本に挟まってただけだし、お礼なんていいよ」
「冗談じゃねえよ、やっぱ、俺のこと、信用してないんだな? 俺が悪魔だって証拠、見せてやるよ!」
 いいってば、と言う暇もなく岳斗はぱちりと指を鳴らす。
 本棚から何冊もの本が飛び出し、辺りを猛スピードで飛び回る。バタバタと壁にぶち当たり、床に落ちた。
「どう?」
 得意げな岳斗に智明は「なに、するんだよ!」と叫んだ。
「君、僕にお礼をするつもりなんだったら、正反対のこと、しないでくれよ! あのさあ、本に傷がついたらどうしてくれるんだよ! 本を汚したら叔父貴に怒られてバイト代、パアになっちゃうんだからさ!」
「え……」
 困った顔になった岳斗をおいて、急いで智明は落ちた本を拾いに走る。
「ほらっ、表紙のところが剥がれちゃったじゃないかっ」
 かんかんになって怒る智明に岳斗は「まーな」と頭を掻く。
 もう一度パチンと指を鳴らした。
 破れた部分があっと言う間に元に戻っていた。
「な? 俺ってすごくない?」
 信じられない、と智明は冷たい視線を返す。
「君のせいで破れたんだから、君が直すのは当然だよ。たとえ悪魔であろうとなかろうと、それは関係ない」
「そ、そりゃそうだけどさ……」
 岳斗は眉をひそめ、がしがしと頭を掻いた。
「あのさー、俺、悪魔の規約でさ、あんたを満足させなくちゃいけないんだよ。あんたは俺の魔力を復活させてくれた恩人だからな。でないと俺、降格されちゃってまたパシリからやらなくちゃなんねーんだ」
 ひどく困った様子にちょっと智明は同情した。
「じゃあ、どうすればいいんだい?」
「頼むよ、なんか欲しいもんを言ってくれないか? 女とか金とか名誉とか」
 ただし、と付け加える。
「言っとくが、悪魔の力は幻なんだ」
 パチリと指を鳴らすと、レジの近くにあった伝票の束が宙に舞った。ひらりひらりと落ちてくるときには一万円札になっている。
「すごいじゃないかー」
 手に取るとそれは元の伝票に戻っていた。
「なんだよ、これ!」
「だからさー、魔力ってのは人に幻を見させることなんだよ。でも使い方によっては結構いけるぜ? 俺が作った札束を持っていって、株を買う。宝石や金を買う。こうすれば自分の手元に残るのは本物だ」
 得意げに説明する岳斗を智明は懐疑的な眼で見た。
「今は景気が上向きといっても、リーマンショック以降株価も信用できないし、それに僕はあんまりそういった金儲けには興味がないな……女じゃないから宝石にも興味ないし」
 岳斗は眼を丸くしたが慌てて言葉を繋ぐ。
「じゃ、じゃあ、女はどうだよ、いい女をたらしこんで抱き放題ってのは?」
「なんか、おっさん臭くて嫌だ」
「じゃあ、好きな女はいないのかよ? あんたに惚れさせるってこともできるぜ?」
 一瞬、智明の脳裏に浮かんだのは正直の顔だった。
(うわっ、だめだ、なおさら!)
 慌てて智明は首を振る。
「い、いいよ! だってどうせ幻覚なんだろ?」
「そりゃそうさ。けど、いいだろうが。つーかそもそも『愛』なんて幻想だぜ?」
 岳斗は呆れた顔になってまた丸椅子に腰を据えた。
「そんなふうに言われたくないな。僕、ちゃんと『愛』を信じてるから」
「結構めんどい奴だな……」
 分厚い掌で自分の顎を覆う。
しばらくそうやっていたが琥珀の眼を輝かせると傍に立つ智明を見上げた。
「そーだ! あんた、本が好きなんだろ? 古今東西の貴重な本を手に入れたいとは思わないか? その手助けをするってな、どうだ?」
「そうだな……それなら嬉しいかな。叔父さんも喜んでバイト代、弾んでくれるかも」
 棚に本を戻しながら智明は岳斗を振り返る。
「だろ? 古本のオークションとかで魔力を使って安く競り落とさせてやったりとかさあ」
「そうだね……それより……」
 智明は岳斗の座っているところへ近寄り、じっと琥珀の眼を見た。
「アリストテレス詩学第三編は一度見てみたいかなあ? アレキサンドリヤの図書館が焼失して以来、失われた人類の貴重な文化だしね。有名なミステリー小説にも出てきたしさ」
「おやすい御用さ!」
 岳斗はぴょんと立ち上がると、両腕を上へ伸ばした。
「Has! Irimirukarabrao!」
 今一度、どかんという音がして、店のど真ん中に大きな書見台が現れた。
木製の重厚な台上には分厚い革張りの本が載っている。
「ええっ? これがアリストテレス詩学第三編?」
 目を輝かせると智明は走り寄って本に手を掛けた。
「一生に一度でいいから見てみたかったんだ!」
 だが重たい表紙を開いた瞬間、眼を剥く。
「ええーっ、なに、これ?」
「あ」から始まって「ん」で終る五十音が延々と印刷されている。ページを何枚捲ってもそれは変わらない。
 しかもそのうち印刷はなくなって真っ白な紙だけになった。
「ど、どういうこと?」
 呆気にとられて岳斗を振り返る。
 岳斗はしらっとした表情で肩を竦めた。
「だからさ、幻だって言ったろ? なにもないところから本物を作るのは無理なんだ」
「それって……」
 すっかり気をそがれ、智明は「消していいよ」と邪険に言い放った。
「君の力って、結構役に立たないねー」
「ええっ」
 得意そうに顎を突き出していた岳斗が今度は眼を剥いた。


「なんでだよ? あれを『詩学第三編』と信じ込ませて誰かから大金を巻き上げることだってできるんだぜ?」
「僕はそういうことをしたくて君に頼んだんじゃないんだ。本物が見られないなら意味ないだろ? もういいよ、もっと気が合う人のところへ行って、君の力を発揮しなよ」
 くるりと背を向け、レジへ戻る智明に岳斗は取りすがった。
「じゃあ、大学に入学させてやるってのはどうだい?」
「結構だよ」と智明は冷たく答える。
「どうせ幻で、周りにいる人が騙されてるだけなんだろう?」
「よくわかってんじゃねーの」
 やっぱり、と智明は失望しつつも手を振った。
「そんなの、いらない。お礼はしなくていいよ」
「冗談じゃねえよ、悪魔の名折れだ、絶対あんたを満足させてやるからな! 俺、あんたの傍を当分離れねえぜ?」
「まあいいけど……」
 ふと思いついて智明は言ってみる。
「だったら僕が予備校へ行ってる間、店番でもしてもらおうかな? それぐらいならできそうだからね……でもバイト代はあんまり出せないよ、はやってないから。それでもいいかい?」
 岳斗は両手で頭を抱えた。
「うそだろ……せっかく魔力を取り戻したのに……古本屋の店番かよ!」
 笑いながら智明は何冊かの本をレジに置き、値札を貼り始める。
「古本屋をなめちゃ困るなー、結構難しいんだよ、この商売。万引きとかされないよう、気配りをしなくちゃなんないし」
 にゃあと鳴く黒猫に向かって智明は手を伸ばした。
「この子、なんて名前? 君の仲間なの?」
「こいつは『イオラ』。俺の使い魔だよ」
 チッチッと舌を鳴らすと、智明は喉を撫でてやる。
「お腹空いてるのかな? 今、煮干しをあげるからね?あっ、それとも猫缶のほうがいいかな? ここにはないから、僕の家であげるよ」
 猫を腕に抱くと、智明は岳斗を振り返り、にっこりした。
「あ、ついでに君も何か、食べる? そろそろお昼だし。ここにはなにもないんだけど、一緒に来るならお袋に昼ご飯を食べさせてもらえるよう交渉するよ」
 その様を横目で見ながら岳斗はスニーカーで床を蹴った。
「あんたさあ……結構変わってない? 普通悪魔に遭ったらもっと驚かないか? それどころかさ、昼飯を奢ろうなんて……」
「いや、そう言われても……」
 智明は首を傾げる。
「悪魔はともかくとして、君を店番として雇うことになったんだから、お昼ぐらいはご馳走しなくっちゃね。悪魔だってお腹が空くんだろう?」
「ま……まーな」
 頷く岳斗の肩に智明は「じゃあ行こう」と手を掛けた。


「たんと食べてちょうだいね」
 甲高い声とともに智明の母・由希子(ゆきこ)はたっぷり盛った肉じゃがの鉢を岳斗の前に置いた。
「弓町ハウス」の食堂兼下宿人の集会所である。十畳ほどの洋間で大きな八人がけのテーブルがど真ん中に置いてある。「弓町ハウス」は今どき珍しい賄い付きなのだった。
 日曜の昼で、下宿人たちは誰もいない。基本的に賄い付きと言っても朝と晩だけなのだが、面倒見の良い由希子は望まれれば昼食も作ってやっていた。それが今日は誰もいないと気落ちしていたところ、息子が「これから僕と一緒にバイトする子なんだ」と若い子を連れてきたのだからすっかり張り切っている。
「こっちは焼き豚よ? 特製のタレで昨日から煮込んだの、食べてね? 偉いわね、専門学校に通う授業料を自分で作ろうなんて」
 もちろん岳斗がこしらえたつじつま合わせの嘘だ。だが由希子はすっかり信じ込んだうえ、岳斗のなかなかハンサムな顔が気に入ってしまっていた。
 さらに「岳斗に手伝ってもらえれば、僕の勉強時間も増えるし」という智明の言葉が決め手になっていた。
「そうよね、智明ちゃん、来年こそは合格してもらわないと」
「プレッシャーかけるなって!」
 文句を言う智明をよそにご飯を掻き込む岳斗に眼を細める。
「あ、ご飯、もう一杯よそいましょうか?」
「お願いしまーす」
 岳斗はひどく素直な笑みを見せ、茶碗を由希子に渡す。
「まあ、若い子の食べっぷりがいいのは見ていて気持ちがいいわねえ」
 電子ジャーへと茶碗を持っていくのを横目で窺うと、智明は「君ってなんか、悪魔に見えないよね」と囁く。
「お袋、君のこと気に入ったみたいだよ?」
「俺、こう見えても八百十九歳なんだぜ? 女のあしらい方なんてお手のもんだよ」
 ふふんと岳斗は箸を漬け物へと伸ばす。
 味噌汁をよそおうとガス台へ近寄った由希子が「きゃーっ」と悲鳴を上げた。
「いやーっ、ゴキブリ! 智明、やっつけてちょうだい!」
「え、珍しいな……」
 智明は由希子の後ろからシンクに近づく。
「あそこよ、たくさんいるのよ!」と指さす先を見てぎょっとした。
「こ、これって……」
「どうしたんだよ?」
 岳斗がのっそりと大きな身体を割り込ませる。
「ああ! 俺のせいで精霊の奴らが活性化したんだな」
 いそいそと動いているのはへんてこな服を着たコビトたちだ。枯れ葉のようなものを身に纏っていて、ミノムシに頭と手足が生えたような形だ。長い髭を生やしている奴もいる。三角コーナーから野菜の切れ端を運んでいる姿に智明もぞっとした。
「うわ…気持ち悪い」
 後ろから肩越しに覗き込んで岳斗が「確かに、気色(きしょ)いよな」と言ったので、智明は呆れて振り返る。
「典型的な若者言葉……八百十九歳とは思えないよ。よく知ってるね、そんな言い方」
「魔力が半減してっとき、悪魔って見破られないよう日々俺もベンキョーしてたんだって」
 へっ、と岳斗は肩を竦める。
「けどこいつらのこと、お前のお袋さんにはゴキブリに見えるんだな……まったく霊力がない奴には全然見えないんだけどな」
「ハンパに見えてるってこと?」
 小声で話している二人に焦れて、由希子はスリッパを手にする。シンクからごそごそと床に下りた一人(一匹?)に向かって振り下ろした。
「いやーっ!」
「いやーって……それを言うのは向こうの方じゃ……」
 呆れる岳斗の前で何度も由希子はスリッパを振るった。
「あーあ……」
 勝ち誇って由希子がその場を離れたあとにぺちゃんこになった精霊が残された。
「なんか、かわいそう……岳斗、元に戻せないの?」
 岳斗はパチンと指を鳴らす。するとコビトは勢いよくぴょこんと立ち上がった。元気よく走り去って、仲間の持っている野菜屑を受け取って一緒に運んでいく。
「すごいじゃないか!」
 感心して智明は岳斗を見上げる。
「怪我を治したり死んだ人を蘇らせたりとかできるの?」
 いいや、と岳斗は首を振る。
「もともと命のないもんとか精霊なら元どおりにできるけどな」
「やっぱ、君の魔力ってあんまし役に立たないんだねー」
 バカにした表情の智明に岳斗は「うっせー」と唸る。
「見てろ、絶対俺のこと、感心させてやる!」
「いいよ、そんな張り切らなくて」
 智明は目の前で再び茶碗からご飯を掻き込みだした岳斗をじっと見る。
 少年と言うには大柄で青年と言うには幼い外見だが「自称八百十九歳の悪魔」。
(変なものを拾っちゃったな……)
「あんたが満足するまで仕えてやるぜ」
 押し売りのように言われたが……。
(僕にはあんまり必要ないんだよな……)
 まあ、そのうち飽きてどっかへ行くだろう。
 そう結論づけると、「店の三階が空いているから、そこに住んでもいいよ」と言ってやる。
「ここも空き部屋があるけれど、うちには小太郎って猫がいるから、君の猫とはケンカするかもしれないしね」
「へっ、イオラのことかい? あいつは猫の姿してるけど、女にもなれるんだ。チアキ、やりたかったらやってもいいぜ?」
 ピンク色の舌で唇を舐めながら、岳斗がウィンクする。
「けど、あいつは結構激しいから、精力を吸い取られちゃうかもな?」
 母親が聞いていなかったのを確認し、智明はホッと溜め息をつくと、岳斗を睨んだ。
「い、いいよ、本当に君ってあんまり役に立ちそうにないね……」
「ああら、戸田(とだ)さん、おはよう」
 呑気そうな母親の声が響き、智明は肩越しに目をやる。
 寝起きそのままのノーメイク顔に眼鏡の女性があくびをしながら食堂の入り口からこちらを見ていた。皺くちゃで猫毛のついた黒いスエットにジーンズといういささかだらしのない服装だ。髪は長く肩まで垂れているが短い前髪は寝癖でしっかり逆立っている。
 女性は一歩入ると、壁の掛け時計を見上げる。今どきレトロなねじ巻き式で文字盤はローマ数字だ。
「あー、もうこんな時間。由希子小母さん、私、これから研究室行くから、泊まりになると思うんで明日の朝はいりません」
 そこまで言ってやっと智明と岳斗に気づき「ああら」と手を振った。
「じゃあね」
 戸田という女性が出ていくと岳斗は「なんだよ、あのイケてない女は」と智明の脇を小突く。
「きょうびあそこまでってのは珍しいなー」
「そんなひどい……戸田さんは秀才なんだよ、T大農学部のバイオ研究所の博士なんだから!」
 ま、変わり者ではあるけど、と小声でつけたす。
「うちに下宿してるのだって、自分でご飯を作る時間も惜しいからって理由だし」
「まあな……あれぐらいじゃもう驚かないぜ。考えてみれば羽山って家の連中も変わり者揃いだもんな」
「あらあ、羽山さんの家の人、知ってるの?」
 聞きつけて由希子が顔を輝かせる。噂話好きが始まった、と智明は肩を竦めた。
「母さん、あんまりゴシップは言わないほうがいいよ」
「いいじゃないのぉ」
 喜々として由希子は話し始めた。
「先々代の羽山徳治郎(とくじろう)さんて人はね、たいそう変わった人で、サーカスでナイフ投げの的になっていた女の人をお嫁さんにもらったんですって! というか、大金持ちの徳治郎さんが見そめて買ってきたという話なのよ? ほら、あの頃は貧しいとサーカスに売られてたからねえ。お義母さんがそう言っていたわ?」
「ええっ、それは僕も初耳だよ!」
 さすがに羽山正直の口からもそんなことは聞いたことがなかったと、智明は大声を出した。
「じゃ、じゃあ羽山の曾お祖父さんは奥さんをお金で買ったの?」
「そうよ、だってねえ、羽山徳治郎さんて人はすごく変人だったから、お嫁さんの来てがなかったんですって!」
 まさに昼メロだと智明は唖然とする。
「だろうな……そういった変な連中のところにあったから俺の手が出せなかったんだな……俺の一世紀を返せ」
 岳斗の小声は勢いづいて得々とゴシップを喋り続ける由希子にはもちろん聞こえなかったのだった。