3
近所の人に岳斗(ガクト)を「悪魔」と紹介することは一切しない、と決めた智明であるが、 T大付属病院の整形外科に入院している叔父には真っ先に紹介しようと連れて行った。もちろん「悪魔」だとは内緒である。
叔父にもわずかながらの霊感があるようで妙な顔で岳斗を見ていたが「いいだろう」と許可を出す。智幸(ともゆき)叔父は旧家の蔵で古文書を鑑定中、梯子から転げ落ちたのだった。骨折に加え、椎間板ヘルニアの持病もあって、入院は長引きそうだった。
痩せて背は高く、数学教師のような真面目な風貌だ。
「あんまり店番ばかりやらせて智明が二浪したのは俺のせい、とか言われたくないからなあ」
「プレッシャーかけないでよ!」
骨折した骨盤を牽引しているため、身動きができない叔父である。岳斗は神妙に水差しの水を取り替えたりしてやっている。
「君って外面がいいのかい?」
悪魔が外面を気にするなんて、と智明は呆れて尋ねた。
すると「ま、チアキの叔父さんが古本屋じゃなかったら、シッポは帰ってこなかったんだもんな。間接的には恩人だ」と智明に囁く。
「いい子じゃないか」
初めは不審の目で見ていた叔父も、帰り際には岳斗にすっかり心を許していた。
叔父のほうは片づいたが、今度は物見高い近所のおばさん連中である。新顔には興味津々といったオバサンたちに「新しいバイト」である、と説明する羽目になった。
「まあ、バイト代、払えるの?」などと真っ当な心配をしてくれる人もいて、智明は「なんとか」と誤魔化す。
霊感の強い人は店に入ると「な、なんかいつもと雰囲気が違うわね」と言うこともあり、岳斗の顔を見て「変わった子ね」と智明に耳打ちすることもあった。だがおおむね「イケメンね」と喜ぶだけの女性が多い。
岳斗によるとまったく霊感のない人種もいるのだそうで、その筆頭が「羽山家」とのことだった。
「かえってそういう連中には俺の力が及ばないんだよ」
智明の指示に従って本を棚に入れながら岳斗が説明をする。
「それで……あの家にある間、手が出せなかったってわけ?」
「それもあるし、あそこには怨念みたいのが漂っててな」
もちろん曾祖父が集めた得体の知れない物のせいである。
だがそれどころか悪魔がもっとも苦手とするものが羽山家にはいたのだった。
「智明、どうだい? 少しは売れそう?」
ある日、羽山(はやま)正直(まさなお)が様子を見に現れ、ちょうど踏み台に載って棚の本を整理していた岳斗が「うわっ」と叫んで落ちる、という事件があった。
「おい、大丈夫か? てゆーか、智明、こいつ誰だよ?」
床に倒れた岳斗に正直が手を貸しながら智明を振り返る。
「えっと、その、バイトだよ」
三階に住まわせていると聞き出した正直は太い眉をひそめる。
「素性は大丈夫なのかよ?」
こそこそと背を向けて本の整理を続ける岳斗に疑いの眼差しを投げかけた。
「うーん……」
羽山家から持ってきた本に切り取られたシッポが挟まってて、それを取り返して魔力が回復した悪魔……。
(なんてとても信じてもらえないだろうからね)
肩を竦めると「あの、叔父さんの古い知り合いの人のそのまた知り合いなんだ、大丈夫」と答える。
「まあ、智明がそう言うなら大丈夫だろう」
正直はにっこりと岳斗に笑いかける。
「俺は羽山正直。よろしくな」
眼を白黒させている岳斗を謎に思いながらも、智明は「曾お祖父さんの本の整理も手伝ってもらってる」と付け加える。
それは事実で、ラテン語の読める岳斗は貴重な戦力だ。
「今日の午後、あの書庫へ一緒に行く予定なんだけど、いいよね?」
「ああ、好きにやってくれ。そうだ、じゃあ叔母さんに岳斗くんの分のおやつも用意するように言っておくよ」
岳斗はなにやら落ち着かない様子だ。手に持っていた本を落とすは、踏み台に躓くはと羽山のいる間はいいところがない。
いつもレジの隣でにゃあにゃあ鳴いている黒猫も姿を消してしまっていた。
「どうしたんだよ?」
正直が帰ると智明は尋ねてみた。
「あいつは俺の天敵だ……」
青白い顔で岳斗は答えた。
「ひょっとしてあのパオロなんとかって異端審問官みたいに、神や悪魔の存在を信じてないからかい?」
だが岳斗はいいやと首を振る。
「それより悪いって。俺たち悪魔はバカには弱いんだ」
「え? 正直さんはT大の獣医学科に行ってるんだよ、バカなんかじゃないよ?」
「そうじゃなくって」
踏み台に腰をよろよろと落とすと、岳斗は額の汗を拭う。
「知ってるだろう?『イワンの馬鹿』ってさ」
「ああ、読んだことある!」
文豪トルストイの童話だ。善良な農夫・イワンを悪魔たちがこぞって堕落させようとするのだが、その汚れのない魂の前にことごとく失敗する、というアイロニーたっぷりの物語なのだが、
「あれって事実だったの?」
う、まあな、と岳斗は頷く。
「なんつーか、まっ正直で腹の中になんにもなくて、すげー人がいいのって、俺たちの天敵なんだよ、まったく魔力が通じなくってさ」
「ああーそういうことか!」
納得して智明は頷いた。
「そうなんだよね……、正直さんって本当に優しくって、動物が大好きで、いい男だもん」
小さいころから正直は悪い奴をやっつける智明のヒーローで、あこがれの王子様だった。
ほのかに智明が正直を慕うのはそんなわけがあったのだ。
うう、と岳斗は呻くと、戻ってきた黒猫のイオラを撫でた。
「あいつがあんたの親友てのはな……まいったぜ……あんたの傍にいればこれからもあいつに出くわすんだ」
「あのね、無理して僕の傍にいてくれなくていいんだ」
どちらかというと、いなくなってくれたほうが嬉しい。
急いで智明は言ってみる。
「もう僕に恩を返さなくてもいいから、好きなところへ行ってもいいよ? 好きなところで好きなだけ悪いことをしたらどうかな?」
「そういうわけには行かないんだっちゅーの!」
岳斗は尖った犬歯を剥き出した。
「俺はあんたに恩を返さなくちゃいけないんだって!」
「まあ、いいけど。それより午後は羽山邸へ行くからね」
ぎょっとして岳斗は目を吊り上げる。
「あいつの家か?」
「そうじゃない、正直さんは別のところに住んでいる。正直さんの伯父さんと伯母さんの家だよ」
それを聞いてやっと岳斗は肩の力を抜いた。
「まあ、お手伝いのかたですって? ありがとう、あとでお紅茶とクッキーをご馳走するわ」
母屋に鍵を借りに行くと、令夫人の澄子(すみこ)が笑顔で迎えた。今日は品の良い杏色の和服を着ている。
「そんな、気を遣わないでください、それに僕たちも仕事ですから」
「いいのよ、遠慮しないでね」
岳斗が小声で「早く、仕事しようぜ」と智明に囁く。
「んで、早く帰ろうぜ?」
「えっ? どうしたんだい、珍しいじゃないか。おやつとかに弱いのにさ」
「いいから、早くここを離れようぜ」
お辞儀をして母屋の玄関先から出ると、岳斗は「やっぱ、羽山の血は俺には合わない」と呻いた。
「あの伯母さんって奴もおっとりしててえらい気がいいな……悪魔の力が及ばないタイプだ」
「澄子おばさんはここへお嫁に来たんだよ? 羽山家の血は流れていないはずだけど」
「類は友を呼ぶ、って諺、知らないのかよ!」
しかし羽山邸別館である「刺青博物館」に入ると、岳斗は元気を取り戻した。ひゅーっと口笛を吹く。
ぼんやりとした照明に浮き上がる異形のものたちも悪魔にとってはたいした気味の悪さではない。むしろ馴染みの品々、と言うべきか。
人体模型(トルソー)に貼り付けられた刺青をほほうと鑑賞し、他の標本瓶にも顔を押しつけて眺める。
「まあ、地獄にはこーゆー趣味の奴がたくさんいるからな」
「ええっ、羽山の曾お祖父さんって地獄に堕ちちゃってるの?」
ぎょっとして智明は尋ねる。岳斗は「まさか」と首を振った。
「つまり身体の一部を切り取ったりすんのが趣味ってことさ。バラバラ殺人の犯人、とかな」
「うう……」
地獄へは死んでも堕ちたくない。
地獄自体も嫌いだけれど、変な連中と一緒に百万年もいるのはもっと嫌だと智明は思った。
びくびくものの智明に比べ、岳斗は生き生きとして黄色の瞳を輝かせる。
「君、嬉しそうだね」
「あったりまえよ! へっへっ」
立派な「唐獅子牡丹」の倶利伽羅(くりから)紋紋の前で岳斗は腕組みをし、立ち止まる。
「へぇ……こいつはヤクザのオヤブンだったようだ」
「昔から刺青を入れるヤクザっていたんだねー。てゆーか、今もまだ時代錯誤に入れてるってことなのかな?」
岳斗は眼を細めて標本を透視する。
「ふむふむ、なるほど、そんで敵対する組のオヤブンを含め、十七人を殺して絞首刑になったんだな」
「うわ……そんなこと、わかるの?」
「ああ、この皮膚(ひょうほん)に残ってる霊の滓が言ってる。自慢の刺青を残したくて羽山の曽祖父さんに託したんだと」
うっと智明は首を竦める。
「てことは、ここにある標本にはみんな……」
「いくらか霊がこびりついてるよ」
それで今までもここに来ると嫌な気分になったのだと納得する。
トルソーの並んでいる棚の奥には、ずらりと小型の瓶が置かれ、そこには肝臓やら肺臓やらといった臓器の一部が入っている。
もちろんこんにちでは人体標本の個人所有など許されるはずもないが、一代目の存命していた明治には学問的探求心から非公式に個人所蔵する研究者もいたのだった。
多くの標本の中に手首から先というものがあった。
「見てみろよ、こいつは六本指だ」
「げっ」
ごく普通の手首から先をなぜわざわざ標本に、と思っていたのだが、岳斗に指摘され、初めて気がついた。
「こっちの脳は殺人者の脳だ。うわ、すげーな、肉屋の一家五人を斧で斬り殺したようだぜ? 死刑になったあと、標本にされたんだな」
「殺人者の脳!」
確か十九世紀にロンブローゾという医者が「骨相学」という説を唱えたことがあった、と智明は思い出す。
「古典ミステリーにあったっけ。殺人を犯すような人間は、脳の特別な場所が肥大して頭蓋骨が変形しているんだって」
岳斗はふんと鼻を鳴らす。
「ちげーよ。人間にはみんな悪い種が心に播かれているのさ。それに悪魔が水を遣るってわけだ」
「骨相学」よりはずっと真実に近いと智明は納得する。
「犯罪者に興味があったのかな? 羽山の曾祖父さんって変態だったのか?」
菜摘(なつみ)と同じことを言う。
「まさか、解剖学の教授だったからね……純粋に学問的興味から取っておいたんだと思いたいな」
親友かつほのかに慕っている人の曾祖父なのだからそんな風には思いたくない智明である。
ひどく楽しそうにしている岳斗のシャツを引っ張る。
「もういいよ、さ、二階へ行こう!」
階段を上がって書庫へ行くと、岳斗は呆れて本の棚を見る。
「こんなもんが楽しいかね……俺っちは下の標本のほうが面白いな」
「いいから、下へ運んで台車に乗せるんだ」
「ま、あんたの仕事だからな」
ぶつぶつ言いながらも岳斗は本を抱え、運び始める。
その有り様を階下に置いた台車の横で見ていた智明はふと気がついた。
「魔力で下へ運べないの?」
「あ、そうか」
岳斗は頭を掻くと、ぱちんと指を鳴らす。
棚から順番に一冊ずつ本が飛び上がり、静かに手摺りを滑り下りていく。下で智明が受け取り、台車に積み上げた。
「あっ、これは珍しいな!」
フランス装丁の本に眼が行き、智明は思わず手に取る。
「エミール・ゾラの『ルーゴン・マッカール叢書』の一冊だ! 確かこれはまだ邦訳されていないはずだ!」
「高く売れるのか?」
岳斗も興味を引かれて覗き込む。
「いいや、僕が読みたかっただけだ」
「なんだよー、つまんねーな、もう。世の中、金だぜ?」
馬鹿にした口調で岳斗は言ったが、辺りを見回して、「そうじゃない奴も結構いるな……趣味に生きる奴もさ。ここの家族がその筆頭だ」と肩を竦めた。
その間も本は今度はまるで雁の群れのように隊列を組んで二階から台車へと舞い降りていく。
台車がいっぱいになると智明は満足げな顔で「取りあえず今日はここまでにしておこう」と宣言する。
「岳斗、君って役に立つかも」
一瞬思ったが、「ちょっと待てよ」と思い直す。
「君が楽してるだけじゃないか!」
「へっへっ、そうかもな」
鍵を母屋の澄子夫人に返すと、二人は店への帰路についた。
岳斗は気の乗らない態度で台車を押す。上り坂にかかると大げさに額の汗を拭った。
「本に店まで飛んでいかせたほうが早いんだけどな」
「それはまずいよ、さすがに!」
呆れて岳斗を見上げる。
「君ってさあ……魔力を自分が楽するためだけに使ってないか?」
「んなこと、ねえって」
弓町稲荷の前にさしかかったとき、ふいに「こん」という咳のような音がした。
「え?」

赤い鳥居の下から涎掛けをした狐がこちらを興味深げに見ている。
「ちょ、ちょっと、岳斗!」
袖を引っ張ると岳斗は「ああ、地霊(ゲニウス・ロキ)が活発化してるせいだろ?」とこともなげに答える。
「まあ、気にすんなって」
「そういうことじゃなくって……」
岳斗の魔力はちっとも自分の役には立っていない。
それどころか、岳斗が傍にいるだけで何か変なことが起こりそうだ。
もちろん遠からずその智明の予感は的中することになるのだった。
上空を何機ものヘリがバラバラと音を立てて飛んでいることに気づき、智明が店の外へ出て空を見上げたのはわずか一週間後のことだった。
そろそろ昼近くになっていて、大横町(おおよこちょう)通りを歩く買い物客やら昼食に出たサラリーマンやOLやらも手を額にかざして上を見上げている。
「なんだろう、火事かな?」
どうも報道ヘリのようだと智明はレジへ戻る。
机に置いてある小さなテレビをつけた。
ちょうど二階から在庫を抱えて下りてきた岳斗も何事かと覗き込む。
「君の魔力でなにが起こったかわからないのかい?」
「だからさあ、俺は悪魔であって千里眼じゃないんだって。なんか俺って誤解されていないか?」
呆れ声の岳斗を放っておいて、智明はリモコンでチャンネルを操作した。
「こちら報道スタジオです」
甲高い女子アナの声とともに、上空からの映像が飛び込んできて、智明は「うわっ、すぐ傍だよ」と叫んだ。
「ああっ、湯島の切り通しのところだ」
本郷三丁目の交叉点から上野広小路のほうへと下りていく春日通りは江戸時代は狭く、切り通しと言われていた。今は最早その面影はないが、土地の人間にとってはまだ「切り通し」の名で通っているその坂が映っている。
坂の終点が文教地区の本郷と広小路の繁華街との境目になるわけで、その辺りには何軒ものラブホテルが建っている。そのうちの一軒の前に黒山の人だかりだ。
「……フロント係によると、男は昨夜遅くチェックインし、昼前になっても応答がないため、部屋係が鍵を開けたところ……」
女子アナがさも怖そうに声を震わせ、大仰にプロンプターを見ながら喋っている。
「ぐ……」
続いた内容に智明は声を詰まらせた。
「うわーっ、首なし死体だってさ、面白そうだな」
岳斗が歓声を上げてテレビに見入る。
「まあ、君の領域だな……ここんとこひどい事件ばっかりだ、いやになるよ」
リモコンでスイッチを消そうとすると、岳斗が奪い取った。
「面白れぇ、もっと見ようぜ!」
延べ数分の報道では満足できず、サンダルからいそいそとナイキに履き替える。
「ちょっとひとっ走りしてくる!」
「ど、どこ行くんだよ?」
焦って腕を掴むと、逆にその手を取られた。
「一緒に行こうぜ! 俺の鼻は利くんだ、面白いことになりそうだ!」
「ま、待ってくれ、二人で出かけちゃったらお店はどうするんだ」
すでに行くという意思表示をしてしまい、しまったと智明は首を竦める。
実のところ、物見高いのは江戸っ子気質の証でもある。
その瞬間、岳斗が「イオラ!」と叫んだ。
「はあい」
甘く低い声とともに、ショートヘアの美女がどこからともなく現れる。襟ぐりの開いた黒いミニドレスを纏い、豊乳を覗かせ、昼間からお水系の雰囲気だ。
「お任せを、ご主人様」
アイラインをくっきりと引いた眼でウィンクする。
「ひょっとして……使い魔の?」
「そういうこと、いい女だろ? さ、行こうぜ」
春日通りを広小路へと下っていくと、坂の中途に赤色灯を点滅させたパトカーが何台も停まっている。現場となったラブホテルはこの辺りでは老舗で、開店当時はずいぶんと反対ののぼりも立ったのだが、今は界隈の景色の溶け込んでいる。
四階建てでさほどけばけばしい外観ではなく、普通のシティホテルとあまり変わらないが、人の背よりも高い塀がぐるりと周囲を巡っているところがいかにもである。入り口も狭く、植え込みの陰に隠れている。そこに報道陣と思しきカメラや集音マイクを手にした人々が群れ集っていた。
玄関前にはTVドラマで見るようなテープが張り巡らしてあって、いかにも警察ですという強面の男たちがそこをかいくぐって出入りしている。
「ああ、ほらほら、立ち止まらないで!」
制服の警官が警棒で岳斗を指したが、岳斗はまったく意に介さずに傍へと寄る。
「ちょ、ちょっと!」
「大丈夫なんだって」
岳斗は警官に合図してすいすいと中へと入っていった。
「ええっ」
驚く智明を岳斗はこともなげに振り返る。
「俺には誰も逆らえないんだよ。チアキ、あんたも入る?」
「い、いやいいよ」
周りの報道陣もまるで岳斗の行動に疑問を持たないようで、さすがにこのたびは「やっぱり悪魔ってことは本当なんだ」と智明は感心することしきりである。
やがて岳斗は黒いスーツの男とひどく親しげに会話をしながら戻ってきた。
「ということなんだよ、鑑識の正式な結果はまだだが、間違いないと最初に検死した奴は言っていた」
「へえ、ありがとな」
岳斗は男と別れて帰ってくると再び智明は驚嘆の目を向ける。
「今の、誰だ? 知り合い?」
「んなわけ、ねーって。捜査一課の主任、とか言ってたな。ホトケさんの説明をしてくれたんだ。あっと、もうホトケはそこの警察に運ばれてるってさ」
「ホトケさんて……」
いっぱしの警察用語にちょっと智明は呆れた。
「ひょっとして君って……警察マニア?」
「ばれたか、ちょっとな。ホントは刑事とかやってみたいんだけどさ、悪魔が正義の味方じゃカッコ悪いからな」
今まで古本屋のバイトなどというあまり宗旨に合わぬ仕事をさせられていたところに、悪魔好みの猟奇事件が起ったので、岳斗は元気を取り戻していた。
琥珀色の瞳がきらきらと嬉しそうに輝く。
「すげかったぜ、犯行現場! もう天井も壁も血まみれ! ひっさしぶりだよ、あんなの、ワクワクしちゃったぜ!」
さすが悪魔だとちょっと智明はげんなりした。
岳斗は智明の腕を取って報道陣と野次馬の群れから離れる。
くだんの男は前夜、というか夜明け前に大柄な女性とチェックインしたのだそうだ。
もちろん女性の顔を見たものはおらず、女性が帰ったところも目撃されていなかった。
「死亡原因はなんなの?」
血まみれだった、という言葉を思い出し、智明は恐る恐る尋ねてみる。
岳斗はまた嬉しそうに「正式な検死はまだだけど、それがさ、どうも首をねじ切られたんじゃないかって言ってたぜ?」と先ほど刑事からゲットした情報を披露する。
「げぇっ」
とても女性の力では出来ないだろう、と素人の智明でさえ思った。岳斗も大きく頷いて同意する。
「あれは絶対悪霊の仕業だ! 霊気が部屋に残っていたからな」
「悪霊?」
「ああ、地獄へ堕ち損なった奴がこの辺りをうろうろしてるんだ」
本物の悪魔に真顔で囁かれ、なにやら智明はうすら寒くなってきた。
「なあ、警察へ行ってみようぜ?」
「ちょ、ちょっと……僕らは探偵じゃないんだよ?」
渋る智明を岳斗は説得にかかる。
「言ったろ、犯人はこの辺りを流してる悪霊だぜ? お前の下宿さあ、昼間はかあちゃん一人だろ? 変なのがふらりと入ってくるかもしれないんだぜ?」
「そ、それは……」
急に心配になってくる。ただでさえ、岳斗のせいで下宿には妙な精霊が出入りするようになっているのだ。
「けど、君の仕事って悪いことをすることだろう? 犯人探しなんて人助けだから悪魔の規律違反じゃないの?」
違うんだって、と岳斗は顔をしかめる。
「ここは俺のシマなんだ。悪霊ごときのチンピラに勝手な真似、させらんねーっつーの」
それに、とつけたす。
「彷徨っている悪霊を地獄に送ってやるとポイントがもらえるからな。俺は六百年、冷や飯を食ってたんだ。ここらへんで挽回しなくっちゃ」
「まあ、君がそう言うなら……」
もしも悪霊に出会ったら、悪魔と一緒のほうが安心だ、とそのとき気づいた。
「君ってひょっとして役に立つかも」
本郷警察は春日通り沿いで切り通しの直ぐ上に建っている。隣は消防署だ。裏手には中学校があった。
玄関前には警察発表を待つ報道関係の車両が停まっている。ガラス扉の脇には警杖を手にした制服警官が辺りを睥睨していた。
「ほんとうに大丈夫なのかい?」
智明はおっかなびっくりで岳斗の腕にすがったまま近寄る。
「俺の力、まだ信じてねーんだな?」
胸を張って岳斗は答えると、「おっす」と手を挙げ、警官に近寄った。
「はっ、ご苦労様であります!」
剃りたての青い顎をぐいと引きつけ、警官は最敬礼する。
なんのお咎めもなく二人は中へ入った。
だだっぴろい一階は市役所の受付のようにずらりと事務机が並び、天井から「交通課」「生活安全課」などの案内札が下がっている。さすがに所轄内で起こった残酷な殺人事件で、辺りは騒然としている。制服・私服入り乱れて男たちが右往左往していた。
受付の机で書類を束ねていた制服姿の婦人警官が二人に気づき、丁寧にお辞儀をした。
「どうぞ、奥へ。まだ捜査本部は設置されておりませんので、二階の会議場へ。そこに刑事課のものがおります」
「すごいね、岳斗、君って!」
テレビドラマか映画のワンシーンを見ているようで、智明はすっかり感心してしまった。
「へっへーん」
初めて智明に感心され、岳斗は鼻の下を長い指で擦る。「行こうぜ」と親指を反らせた。
二階の会議室にはすでにがっちりとした体格の男たちが何人も集っていた。細長い折り

畳み式の机が並べられ、パイプ椅子が立てかけられている。ホワイトボードにはまだ今日の日付しか書かれていない。机に尻を乗せ、携帯電話でいろいろと指示を出している者もいる。私服に制服、また作業服を着てパイプ椅子に座り手元の書類を捲っている者もいる。
いかにも一般人といった二人が入っても誰も疑問に思わないところが不思議である。中には霊感がなくて悪魔の力が及ばず、「あれ?」といった顔になる者もいたが、周囲の人間が何一つ文句を言わないのでそのまま納得していた。
「日本人ってさあ、長いものに巻かれろ、主義だからな」
岳斗が耳打ちをし、なるほどと智明も思った。
そのうち制服を着た眼鏡の真面目そうな男が椅子を立って二人の前へやってきた。
「ホトケさんの身元が割れた。とんでもない奴だったぞ」
言いながら手にしたFAX用紙に目をやる。
どうも岳斗の魔力に引き寄せられ自ら報告に出向いたらしい。真面目な口調で告げる。
「指紋照合が一致したから間違いないが、念のため、DNA鑑定も行なう。大阪で昨年歳末のクソ忙しいときに自分の女房を殴り殺してずらかった奴だ。しかもその3ヶ月後に岡山でサラ金に強盗に入ったというオマケつきだ。ラブホで殺されても泣く奴はおらん」
「うっわー、ひどい……」
智明は横を向いて呟く。
「しかし東京に潜伏してたとはな……警視庁も舐められたもんだ、くそっ」
「神奈川県警の奴らにまたイヤミを言われそうだな」
周りから上がる不機嫌そうな声に警視庁と神奈川県警との仲が悪いというのはやっぱり本当なのだと智明は感心した。
「それにしてもそんな極悪な奴がまたなんでラブホなんかで……」
岳斗が尋ねると、さあな、と男は肩を竦めた。
「女とイッパツやったあとで殺して金でも取ろうとしたんじゃないか? それで返り討ちにあったのかもな。ま、社会のウジ虫が一匹減っただけのことだが……それでも殺った奴をアゲなきゃならん。税金の無駄遣いとはこのことだ」
真面目そうな男は感動のない口調で続ける。
「うーん……それはそうだけれど」
殺され方もひどいが……こうなると智明は自分でも何を「ひどい」と言ったのかわからなくなってきた。
男の持っているFAX用紙に目をやると、パンチパーマにエラの張った顎、鼻は胡座をかいて眼は落ち窪み、いかにも悪人といったご面相の男のバストショットが載っていた。
「この顔が肩から上に載ってたわけだな。なくなってもあんまり惜しくない顔だ」
男は素直な感想を述べ、「な?」と同意を求める。
「けど、女の細腕で首をねじ切れるもんかいな、ハラちゃん?」
年配の私服の男がこちらへと寄ってきた。小太りで髪の毛の生え際はかなり後退し、広い額で蛍光灯の光を眩く反射している。
「どうねじ切ったかは知らんが、睡眠薬でも飲ませりゃ、女の細腕だってなんとかなるもんじゃないか?」
もう一人が「いや、女かどうかわからんぞ?」と口を挟んできた。
「でかい女との目撃情報だが、誰も性別を実際には確認してないんだ。最近はそっち系が流行らしいしな。あそこの支配人の話じゃ、結構男同士で利用するのもいるらしい」
こうなるともう何をひどいと言うべきなのかと真剣に智明は悩み始めた。
岳斗は「もういいだろう」と智明の肩を叩く。
「鑑識の詳しい結果は時間がかかるしよ。どうせこれから先はあーでもない、こーでもないってつまんねー会議だ。知りたいことはもう教えてもらったからな」
「ひょっとして」
会議室から外へと出ると智明は尋ねてみた。
「君、今までも……こうやって」
「へっへっ」
岳斗は少し照れくさそうに頭を掻いた。
「面白そーなヤマがあると時々な。でも今は魔力を回復したからで、以前はこんな堂々と出入りはできなかったぜ」
警察オタクの悪魔とは知らなかった……智明は唖然として隣の背の高い青年を見上げた。
「それにしても、被害者(マルガイ)も相当悪い奴だったとはな」
相変わらずの業界用語で岳斗は呟く。
「その人の魂は?」
血まみれの犯行現場をまだ彷徨っていたらどうしようと智明はぞっとした。
「とっくに地獄行きさ。欠片も残っていなかったよ」
「だったらよかったじゃないか、君のいる地獄の住人が増えてさ」
岳斗の答えにほっとして感想を述べると「ちげーんだって、だからトーシロはいやになる」と返ってきた。
「あのなー、悪い奴の魂が地獄に堕ちるなんて当たり前でつまんないでしょうーが。俺たちの仕事は真面目でいい奴を堕落させることなの! それでポイントが稼げるの!」
岳斗はむきになって説明する。
「そこが悪魔の腕の見せどころなの!」
「じゃあ、悪霊を送るとなんでポイントになるんだい? あいつらはもともと悪い奴なんだろ?」
「チアキ、あんた、細かいなー」
岳斗の呆れ顔に「いや、僕って性格がきちんとしてるから」と答える。
「だからな、奴らは地獄へ直行せずにふらふらしてるだろ? 俺ら地獄の規律ではそーゆー勝手は許されないの。俺らは規律正しいの!」
「悪い奴に規律?」
だーからー、と岳斗は指を振った。
「地獄に堕ちるぐらい悪い奴がごまんといるんだぜ? 勝手なんかさせたら地獄がめちゃくちゃになっちゃうだろ? 規律正しくさせなくてどうするよ?」
はあー、なんだかなー、と智明は溜め息をついた。
警察署の玄関に出たところで、腰の携帯が鳴った。
「はい、大野です」
「智明ちゃん、どこにいるの!」
げっ、と智明は辺りを見回す。
「お袋だ!」と岳斗に告げた。
「お店に電話したら、誰なの、変な女の人が出たわよ?」
「あ、あれ……」
色っぽいイオラの姿が目に浮かんだ。きちんとした電話の応対をするとはとても思えない。
「あ、あの……岳斗の従姉妹なんだよ、ちょっと二人で外に出たんで、店番をやってもらってる」
「そうなの?」
母の由希子は懐疑的な声を出す。
「『ご主人様は殺人現場の見物に出かけました』なんて言うから……誰かと思っちゃったのよ?」
「か、変わった人なんだよ。戸田さんみたいにさ」
「あら、戸田さんに似てるの! なーんだ」
戸田の名を出され、由希子は妙に納得する。
「ところで、今どこにいるの?」
そもそもの電話の目的を思い出す。
「ちょ、ちょっとさ……今、本郷警察の前だよ」
「ちょうどよかった!」
由希子はさっそく頼み事を口にした。
「実は小太郎の具合が悪くて、朝方、羽山先生にお預けしたのよ。様子を見に行ってくれない?」
「え、小太郎が? どうしたの?」
「あのね、毛玉でも溜まったのかしら、朝からケェッ、ケェッって何度も……」
動物好きの由希子は心配そうな声を出す。迫真の吐く真似にちょっと智明は呆れながらも自分も心配になった。あの丈夫な小太郎が吐くなんて。
「わかった、様子を見てくるよ」
携帯を切ると智明は本郷警察の前から本郷通りをT大の敷地のほうへと折れた。道の先には龍岡(たつおか)門というT大への入り口があり、そのすぐ近くに羽山の父親がやっている獣医科病院があるのだった。
「どこ、行くんだよ?」
岳斗が追ってくる。
「そこだよ、羽山ペットクリニック」
バス停の前に院外処方箋薬局があり、その手前に五階建てのビルが建っている。看板には犬と猫の絵がついていた。
「ひょっとしてあの羽山ん家(ち)?」
追いかけていた岳斗の足が止まった。智明の腕を大きな掌が捕らえる。
「いやだ、わざわざあいつの近くには寄りたくない! あいつが五十メートル以内にいると、俺の力はまったくなくなっちまうんだ! ちなみに五メートルで脱力します」
なんなのー、それー、と智明は呆れた。
「近くにいるだけで駄目なの?」
「ああ、あいつが寝てたりとか意識がない状態ならいいんだけどな。あいつのめちゃ善人な精神波動が俺の魔力を中和しちまうんだよ」
魔力がなくなっても別に自分には関係ない。
「そんなことを言ってもしょうがないだろう?」
智明は冷たい視線を向けた。
「君、僕に仕えてるんじゃなかった?」
「うう、こういう時だけ思い出すんだな……」
チャイムとともに院内に入ると、ガラス扉に仕切られた二つの診療室があって、そこで正啓(まさひろ)院長が患畜を診ていた。まもなく院長が診察を終え、待合室へ出てくる。
「智明くん、久しぶりだね」
白髪の交じる綺麗に櫛の通った髪を手で撫でつける。そろそろ七十近い品のいい紳士だ。本郷界隈では名医として尊敬されている。智明にとってはそれだけでなく、動物好きの優しいおじさんなのだった。
「先生、うちの小太郎は? 母が毛玉でも溜まったのではって心配していて……」
「おお、大丈夫だよ」
早速院長は奧へと姿を消す。やがてケージに斑の猫を入れて戻ってきた。
「毛玉は溜まっていなかった。吐いた胃の内容からするとどうもスルメの食べ過ぎらしい」
「小太郎ったら! どうして意地汚いんだ、お前は!」
ケージのなかでリラックスしている猫を智明は覗き込んだ。
「まったく、うちに下宿してる人の部屋に入って、勝手に食べ物を盗むんですよ、こいつは!」
猫は吐き終わって今はすっきりという顔になり、智明の小言に痛痒も感じていないようだ。
「親父い、すごいよー、あそこのラブホで超猟奇的殺人事件勃発ー! テレビカメラ、来てるよー」
嬉しそうな声とともに診療所の扉が開いて、ポニーテールを揺らしながらセーラー服の少女が飛び込んでくる。
「智明、見てきた? もう、ワクワクしちゃったー!」
岳斗と同じ感想を漏らす美少女はもちろん菜摘(なつみ)で、智明と横に立つ岳斗に眼を丸くする。
「智明、カレシ、イケメンじゃん!」
お嬢さん教育で有名な私立桃園女学院に通う彼女だが、まるでそのイメージとは合わない。
菜摘は岳斗の周りを巡ってじろじろと眺め回す。岳斗のほうは強張ったまま、立っている。
「あの、羽山さんから聞いてなかった? うちのバイトの岳斗くん」
「ふーん」
「こっちは正直さんの妹の菜摘ちゃん」
菜摘は岳斗の眼をじっとのぞき込む。岳斗は完璧に固まった。
「岳斗さんてガイジン?」
「ええっ」
「だって、なんか、眼が黄色っぽいよ?」
岳斗はぎょっとして後ろに下がる。
「そ、その、初めまして。岳斗と申します」
深く身体を折り曲げてお辞儀をする。視線を逸らすための手段だったのだが、その態度が羽山院長と菜摘の好感度を増した。
「おお、今どき珍しく礼儀正しいのだねえ」
岳斗が緊張したまま「はい」と答えた。
「どうしたんだよ、岳斗?」
智明がこっそりと尋ねると岳斗は「やっぱ、正直の妹だ」と呻く。
「信じられねー……俺の眼をのぞき込むなんて……ふつー、ニンゲンにはできねーのに。しかも俺の眼の色を見破った……」
菜摘はバタバタと奥へ入っていく。岳斗はやっと肩の力を抜いた。
「ああ、驚いた。羽山と同じ力を持ってるんだ……でなきゃ、処女だし可愛いし、食っちまうんだけどな」
ぎょっとして智明は岳斗の腕を掴んだ。
「駄目だよっ、菜摘ちゃんは僕にとっても大事な妹なんだからさ」
「わかってるって、それにどっちにしろ手を出せねーよ」
言いかけて岳斗はまた顔を強張らせる。
「うわっ、天敵が近づいてくる!」
岳斗の言葉が終ると同時に、正直が扉を開けた。
「おい智明、これから大学で馬の診察があるんだけれど一緒に来る?」
馬と聞いて智明は躍り上がった。
「行く、行く!」
動物好きな智明だが、中でも一番好きなのが馬なのだ。
「本郷に住んでると、馬なんか、競馬場に行かなくちゃお目にかかれないもんね。乗馬クラブは高いしさ」
ケージを取り上げ、岳斗に押しつける。
「お袋のところへ連れて帰ってくれよ」
正直の前では完璧に力を失っている岳斗は素直に「はい、わかりました」と受け取る。
そんな岳斗を正直は微笑ましそうに見る。自分の目の前では形なしなのをすっかり「今どき珍しい礼儀正しく静かな若者」と誤解しているのだ。
「どこへ行くの?」
「農学部だよ。うちの大学の馬術部の馬でさ」
答えながら正直は白衣を用意する。
「被れ」
ヘルメットを奥から出してきて智明に手渡した。
外へ出ると隣のガレージへ正直は愛車を取りに行く。姿が見えなくなった途端、岳斗はふらふらと地べたにしゃがみこんだ。
「ああ、死にそうだ……あいつの親父の心の声もたまらないけど……正直の奴のは特別だ。(生命を大切にしよう)とか(動物は人間の兄弟だ)とか(動物好きの人に悪い人はいない)とか、本気で思ってるんだもんな……窒息しそうだ! それとあのマジ天然ボケが耐えられない! 人を疑うということをまったく知らないし!」
「それってすごく褒めてることになるのかなあ?」
岳斗は涙の滲んだ黄色い眼で智明を見上げる。
「お前はいいよ、心の中が見えないんだから。あんな天使みたいな奴はそうはいない」
「やっぱ、褒めてるんだな」
悪魔を泣かせるぐらいなのだから、と智明は納得する。それにしても、と疑問に思い、訊いてみる。
「君って人の考えていることがわかるの?」
もしそうならどんな猟奇事件も解決できるはずだ。
岳斗は「いいや」と首を振る。
「あのな、俺は『サトリ』や『読心術者』じゃねーよ。念を感じるだけだ」
「ほんと、悪魔ってたいした能力はないんだね」
「るせー」
でもなぜ、と智明は首を捻る。
「正直さんの考えていることがわかったの?」
「念を感じるって言ったろ? 天敵の放つ思考は俺らにとっては攻撃されたも同然なんだよ。羽山一族の思考波はマグナム級だ」
ふと気が付いて智明は「菜摘ちゃんは?」と訊いてみる。
「菜摘ちゃんの考えてることも受信するの?」
「俺は電波系かよ!」
むすっとしながらも岳斗は「いや」と答える。
「なんつーか、単なるノイズだな。カオスともいえるか……」
「そうだね、女子高生の考えることなんてカオスだよね」
二人の会話をよそに正直がシマノスポーツギヤを押して出てきた。
「ええっ、バイクじゃないのかよ」
ヘルメットを手渡したことからてっきりバイクに乗るものと思っていた岳斗が思わず口にする。
「自転車のほうが地球に優しいだろう? それにすぐ近くなんだからさ」
「じゃあ、なんでメットなんか?」
正直は当たり前だろうという顔をする。ハンドルに引っ掛けた籠の中に白衣を入れた。
「いくら気をつけていても事故に遭う可能性はゼロではないだろう? 漕いでいる俺はともかく、智明に怪我でもさせたら由希子おばさんに申し訳が立たない」
訊かなければよかった、と呟いて岳斗は目を逸らした。
「智明ー、ラブホ、見に行かない?」
再び菜摘の声が響き、岳斗がぴょんと跳び上がる。
菜摘がセーラー服からジーンズに着替えて立っていた。
「智明は俺と馬を見に行くんだよ」
「ちぇーっ、じゃあ、岳斗さん、一緒に行かない?」
岳斗は再び身体を折り曲げる。そのままじりじりと後退した。
「いえ、ちょっと用がありますので、ご一緒は遠慮させていただきます。菜摘さん一人で行ってらっしゃいませ」
「なーんだー、じゃ、一人で見てくるからねー。あとで報告するよ」
菜摘は風を巻いて走りだす。
見送りに出てきた院長が大きく溜め息をついた。
「やれやれ、きょうびの女の子はみんなああなのかなあ……女子校の子はおしとやかだとばかり思ってたんだが……」
「まったくだよな」と正直も同意する。そして自転車にまたがった。
「じゃあ、出かけるか。岳斗くん、失礼するよ」
にっこりと笑いかけるので、岳斗は頬を引きつらせながら手を振る。殊勝な声で「チアキさん、じゃあ、俺、先に店に戻ってます」とお辞儀をして脱兎のごとく走りだした。
智明が見ているといきなりバス停に激突する。なんとか小太郎の入っているケージは無事だったが「うにゃあああっ」という怒りの唸り声が智明の耳に到達した。
(ほんとうに正直さんが苦手なんだ……)
メットを被った正直が不思議そうに「なんであいつ、お前のことを『チアキ』って呼ぶんだ?」と尋ねた。
「呼びやすいし、なんか名前にはこだわりがあるんだって」
「変わってるなー」
首を傾げながらも正直は「でもなかなか感じのいい奴だよな、彼」と言う。
「今どき、ずいぶん礼儀正しいじゃないか。言葉遣いも丁寧だし。最初見たときは驚いたけど、やっぱり人を外見で判断してはいけないね」
智明はぷっと噴き出してしまった。
「岳斗に伝えとくね」